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ナースプラクティショナーまでの道第1回

連載コラム「ナースプラクティショナーまでの道 ~看護師人生中間地点~」 第1回

投稿日:2011.06.06

第1回:“歯をくいしばる”覚悟

ナースプラクティショナー(NP)という資格をご存知だろうか?日本語では“診療看護師”とされており、医師と協働して医行為を行う看護師のことを言う。アメリカでは40年の歴史があり、今では女の子がなりたい職業の上位にランクインしている。日本ではようやく2008年から一部の大学院で養成が開始されているが、まだ制度化はされていない。私は今年3月、NP全国統一試験を何とかクリアし、勤務先の病院でNP1年生として活動を開始した。連載コラムの依頼をいただき、ふと看護師人生を振り返ってみると、多くの患者さんや上司・同僚・協働した医師・他職種の方々のたくさんの影響を受けて今の私がある。私の物語が皆様のどなたかひとりでもプラスの影響があってほしいと願って、この連載をお受けすることとした。 


 「小さい頃から看護師になりたかったのですか?」といろんな方から質問されるが、そうではない。手に職があることが女性の自立につながると信じている母親に育てられた私たち三姉妹は全員看護師である。看護学校時代は、厳しかった親元を離れた開放感と自分の進みたい道ではなかったことで、さぼることばかりを考えていた不良学生だった。何とか卒業し渋々病院に就職して1ヵ月後に事件が起こった。


 就職して1ヶ月で新人ナースにできることはほとんどないし、せめて電話の応対くらいはと受話器をとったら検査室からだった。「GOT○○GPT○○CPK○○・・・ですのでご報告します。」データから心筋梗塞が疑われていたのだが、新人ナースの私は全く気づかなかった。先輩ナースに「検査結果を先生にみてもらうにはどうしたらいいですか?」と尋ねると、「シャウカステン(画像をみるライト付きの器具)にかけておいて。そしたらあとで先生がみるから」と言われ、その言葉通りに行動した。


 その後主治医が外来を終えて病棟に昼過ぎに上がってきて、机の検査データをみて青くなった。「誰だ!!!このデータをここに置きっぱなしにしたのは!」と大声が響き、師長・先輩ナースを巻き込んで、緊急処置で大騒ぎとなった。患者さんの命に別状はなかったが、医師から私とともに師長や先輩達まで叱られているのを聞いて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。夜とぼとぼ歩いて帰りながら、「こんな責任重大な仕事、私には無理。」と思いながらも、看護師をやめる勇気もなく悶々と悩むようになった。日に日に夜が寝られなくなるとともに、朝が起きられなくなった。ある朝、頭痛がひどく休みたかったが、先日の出来事が影響していると思われるのもイヤだった。考えた挙句「祖父が亡くなったので、葬式に帰ります。」と既に他界している祖父を使って欠勤した(おじいちゃん、ごめんなさい)。


私は「通夜と葬式で2日休める」とほっとしてアパートでごろごろしていたが、病院側は弔電の手続きで実家に連絡をして、嘘は簡単に発覚した。すぐに父から電話がかかってきて「お前、葬式なんて嘘ついて、何してるんだ!」と更に叱られた。親の前では小さいころからイイコを演じ続けてきた私は、親からの信頼を失墜したことで自身の存在価値を簡単に見失い自殺を考えるようになる。


その後うつ病と診断され2ヶ月間自宅療養に入るが、世間体が何より大事な父親にとって、私の挫折は一家のお荷物だった。先輩方に合わせる顔がないと退職を決心して看護部に挨拶に行ったところ、副看護部長から「先輩たちは迷惑し憤慨しています。でも、あなたは今ここで辞めたら看護師としてだけでなく、社会人としてこの先の長い人生を生きていけなくなる。あなたが巻いた種なのだから針のむしろだと覚悟して、歯を食いしばって病棟に戻りなさい!辞めるなら一旦戻ってから辞めなさい!」と説得された。


年度末にはやめてもいいと期限ができたことで少しは気が楽になり“歯を食いしばる覚悟して”病棟に復帰した。私からみると同期はすっかり病棟業務に馴染んでおり、自分だけが役立たずの存在だった。そして、看護の楽しさに気づくことなく、わずか1年で逃げるように結婚して看護師を辞めた。
 しかし、病棟に復帰したときに経験した「歯を食いしばる覚悟をする」ことが、今後の看護師人生に大きく影響を与えたとは、このときには気がつかなかった。

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