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Go Go Mr.Nurse! File 第5回

Go,Go,Mr.Nurse! File.005 小澤公人さん

投稿日:2015.07.06

患者さんの人となりを支えていけるような関わり それが僕にとっての「看護道」

今回お話を伺ったのは、小田原市立病院の男性看護師、小澤公人さん。
神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会小田原地区「口福会」の会長でもあります。摂食嚥下障害看護認定看護師として院内を飛び回る傍ら、現在は国際医療福祉大学の大学院生として学びの姿勢を貫き、各地のセミナー講師に招かれることも少なくありません。
そんな小澤さんの「看護道」とは?
小澤さんの歩み                         

1982 年 県立小田原城北工業高校卒業。進むべき道が定まらず、
悩める19 歳
1983 年 愛光病院勤務。看護助手からのスタート
1990 年 神奈川県立看護専門学校卒業
1992 年 小田原市立病院勤務
      30代半ばでケアマネジャー、40 歳で認定看護師資格を取得
      「口福会」会長として地域の「食」に対する啓発活動に積極的
に参画
2014 年 国際医療福祉大学院成人看護学科入学、現在に至る

「今度いつ来る?」「あんた、それで終わりかい?」 に背中を押されて

工業高校を卒業し、漠然と「働くならば、人を相手にする仕事」と考えていた小澤さんを看護師に導いたのは、見学に行った病院での精神科の患者さんの一言。
「今度いつ来る?」

ここが自分の居場所になると直感した小澤さん、看護助手として愛光病院に勤めることにしました。
「病院の子」と言われるほどスタッフや患者さんに溶け込みますが、「ここで一人前になるには、看護師にならないと」と言われ、看護学校への入学をめざし猛勉強。

「患者さんたちが僕に勉強を教えてくれました。精神科の患者さんは、頭のいい人や一芸に秀でた人も多く、そういう人たちが、僕が行くのを参考書を持ってナースステーションで待っていてくれるんです。
進学コースに進むときも、病院を変わるときも、いつも患者さんが『行け行け』と応援してくれました。」

28歳で小田原市立病院に入職した小澤さん。同院には現在30名ほどの男性看護師が在籍していますが、当時小澤さんは病院としては4人目、配属された脳外科としては最初の男性看護師だったそうです。
「ある日、愛光病院の患者さんから僕に電話がありました。『大丈夫か?そっちでもちゃんとやってるか?』って心配してくれて(笑)。
精神科から脳外科の担当になり、初めは戸惑いましたが、男も女もなく仕事に慣れるのに精いっぱいだったように思います。

次第に患者さんが回復していくのが楽しくて面白くて、緊急入院の連絡があった時に、これから始まる修羅場のような救急処置を行うことに、自分の体の細胞がプチプチと音を立てて弾けているような感じでした」
と、看護のやりがいを実感する日々を過ごされたようです。

そんな小澤さんに、「もっと見聞を広げてきなさい」「そろそろなんか身につけようか。あたしと一緒に」と声をかけてくれたのが当時の担当看護師長。
30代半ばでケアマネジャーの資格を取ったのも、師長の言葉があってこそ。
さらに小澤さん40歳の節目には、「あんた、それで終わりかい?あんたみたいな職人肌は、何か身につけないと」と叱咤激励。
「それで40歳を機に、認定看護師の試験を受けたいと病院に申し出たんです。そそっかしい僕を見守ってくれたこの師長さんが2年後に定年退職を控えていたので、師長さんに認定看護師の証書を見せて、僕はもう大丈夫です、成長しましたよ、と報告したいという思いもありました」。
そう振り返る小澤さん。

看護師としての心構えを認定研修で確立

認定看護師の研修はとってもハード!と誰もが言います。ニコニコ笑顔の小澤さんとて例外なく、テスト勉強やレポート作成、実習の記録などの時間に心にも余裕がなくなり、「トイレで叫びたくなるほどだった」と顔をしかめます。
ところが、実習で患者さんの前に立ち、初めて授業で教わったことと臨床がつながった時の感動をお話されるときは、こちらにもその高揚感が伝わってきました。

「摂食嚥下という軸ができたことで、患者さんの状態が物語をたどるようにわかるようになりました。嚥下機能のアセスメントをして訓練をして食べられるようになるということが、その人の生活にどんな影響を与え、どういう意味を持つのか。
生活とか人生とか、家族も含めた社会とか、全体像が見られるようになりました。
看護師としての心構えがはっきりと自分で確かめられたことが、認定看護師になって一番良かったと思うことです。
患者さんは病気やケガを治すために病院に来ますが、なぜ治療するのでしょうか。病気やケガが生活を脅かす要因の一部だから、それを治して元の生活に戻るためですよね。そこが患者さんの真のニーズであり、看護の見据えるべきところだと思います。
そのニーズに応えていくための手段として、チームがあり、病院があり、社会があり、社会資源がある。
その中で自分は何をどう支援できるのか。そこを主体的に考えていける仲間を増やしていきたいですね」。

「看護職」と「看護道」

「僕は、看護は職ではなく道だと思ってるんです。自分が生きていく上で仕事とプライベートとの二つの立場・二本の足が必要ですが、僕にとっては患者の傍らに立つ仕事としての看護の足と、自己実現のための看護の足、そのどちらの足も大切です。
仮に定年を過ぎて職種としての看護師ではなくなったとしても、自己実現の足も鍛えておけば、看護道は歩いていけそうな気がするんです。だからこそこっちの足も、弱っちゃ困るんです」。
50歳を過ぎて大学院で学ぶことを選んだ理由は、こちらの足を鍛えることにもあるそうです。
小澤さんの「看護道」は、院内での摂食嚥下障害看護だけでなく、口福会(神奈川摂食嚥下リハビリテーション研究会小田原地区)の活動を通しても拡散されています。
昨年は「介護のための摂食・嚥下障害の理解とケア」という書籍をナツメ社から上梓。地域での講習会などの活動実績は、平成26年度神奈川県歯科保健賞を受賞・表彰されました。
3月には嚥下食を実際に作って食べてみる実習も企画開催。
「そろそろお昼御飯ですね。火曜日は食事に合わせて嚥下回診、午後は嚥下造影とN S T回診があります。今週は院内でオープンセミナーもあって、結構忙しいです」
と席を立った小澤さんに見送られ、小田原市立病院を後にしました。

帰り道、魯迅の小説「故郷」の最後の一文「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」というフレーズが頭に浮かんだインタビューでした。
❶ 立ち止まっても良い、後戻りするな。

❷ 美味しく、楽しく、安全に。

❸ すべての人に口から食べるチャンスを。

❹今この時が、一番大切。

  今日があるから、明日がある。

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