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看護師が社会を変える~起業家育成事業に関与し、変容する看護師たち~

 公益財団法人笹川保健財団は2014年より2020年までの7年間、看護師の起業を支援する日本財団在宅看護センター起業家育成事業を展開してきました。本事業では8か月の研修を行っており、この9月までに84名が本研修を修了し、そのうち73名が研修修了後に訪問看護ステーション等の事業所を起業して、日本財団在宅看護センターとして全国にネットワークを構築しています。

 看護師というのは、日本がこれから存続していけるかどうかに関わる必須の専門職だと考えています。地域の中に看護師の城を作り、地域の人々をまず看護師が看る、そして必要に応じて受診を促す、そういう地域包括ケアシステムのハブを看護師自身が担えるかが重要になってくると思います。

 日本でも働き方改革などといわれていますが、病院勤務の看護師の場合、朝8時に出勤していないと周囲の目が気になるのではないでしょうか。私が数年前にオランダへ行った際、1週間に3時間勤務する生活を何年も続けている看護師がいることを知りました。このような働き方のダイバーシティが世界では当たり前になっており、これからの日本にも必要なのではないかと思います。

 そこで今回、キャリアのダイバーシティに着目し、安定していたであろうキャリアを離れ、新たな分野に挑戦し地域包括ケアシステムの担い手として活躍する5名の方にお話ししていただきます。講演を通じ、自らのキャリアを見直し、本日のテーマである「看護師が社会を変える」に向けた原動力・起爆剤にしていただければ幸いです。

 元々、私は総合病院で管理者として働いていましたが、出産後に看護師を辞め、専業主婦となり、PTA活動等を行っていました。その頃親族の看取りを依頼されたことがきっかけで訪問看護とケアマネジャーの仕事に復帰しました。その後、中核病院の看護部長として働いていた時、東日本大震災が起こり、帰宅困難でセカンドハウスに入居している患者さんのサポートをしました。

 訪問看護師として在宅看護の経験もあったので、地域で安心して最後まで療養生活ができる包括的看護がしたい、そのためのスタッフを育てたいと思うと共に、多様なニーズに応えられる看護とは何だろう、病院・在宅というフィールドの違いを超えた看護の本質は何だろう、といつもモヤモヤした気持ちを抱えていた時に、起業家育成事業が目に入りました。訪問看護の拡大事業にあたっては、点から面で支えるシームレスな支援が欠かせないと思い、現職を辞めずに起業を決意したのです。

 8か月の研修を経て、社会的効率や医療ニーズに対応できるためには、訪問看護ステーションだけでは難しいと思い、看護小規模多機能型居宅介護事業所(以下、看多機)の在宅看護センター「結の学校」の設立を目指しました。

 看護師の幅広いキャリア開発は、博士や専門、認定などがありますが、人としての趣味やPTA活動なども、持続的・継続的キャリアとして生活全般を支援する地域看護に貢献できると考えています。さらには個々の得意分野を共有し、全てのスタッフが共に育っていける環境を目指しています。

 看護師が社会の変化に柔軟な対応ができるようになるためには、ライフステージに合わせて多様な働き方の推進をしていくことがとても重要だと感じています。スタッフがやりたいことを私は応援していこうと考えています。
 私は久留米大学医学部附属看護専門学校(現看護学科)を卒業後、39年間同院で勤務し、2018年に定年退職しました。それまでの過程での出会いや想いが、在宅看護センター経営者となるまでの道標となっています。この発表を機会に振り返り、ターニングポイントとなったと思われる事象をスライドに示しました。

 まだ介護保険制度が始まっていない時代に大学病院のボランティアチームで3症例の在宅看取りを行ったことを地方の新聞に掲載してもらったことは看護師人生の大きな一コマとなっています。

 私が看護管理について模索中であった時期に、年1回開催されている緩和ケアホスピス全国看護師長会に3回参加しました。そこで講演をされていた先生の看護管理に関する講演内容や先生の人柄に感銘を受け、学びを深めるために講師の先生がご勤務されている大学院に入学しました。入学後は、マグネットに吸い付けられるように久留米から関東の大学院に毎週末3年間通いました。その頃「生涯現役!の腹決め」ができたと思っています。自組織の強みを認め、また弱みを知るために外に目を向けることはとても大切だと思いました。

 その後、日本看護協会認定看護管理者の資格を取得し以前から取り組んでいた「がん専門領域における大学認定看護師育成・養成活動」を軸に看護管理者の育成や労働衛生安全管理、働きやすい職場環境整備やスタッフの安全を守る取り組みをしてきました。

 それと並行し、がん患者会で相談業務を行うようになり活動の場が病院内のみならず地域・在宅領域に関心を寄せることになりました。そして退職と同年に当起業家育成事業5期生となり、現職につながりました。

 私が歩んできた過程では人との出合いによるネットワークの拡大が自分に大きな影響を与えており、看護師生活の多様性につながったきっかけになったと思います。今後も豊かな地域資源と連携・協働し在宅看護の発展に努めてまいりたいと思います。
 在宅看護論の無い時代に看護師免許を取得した私は、病棟勤務しか経験したことがありませんでした。看護大学に編入した2000年以降に、初めて在宅看護論を学び、実習で現場を知り、目からうろこ状態でした。

 15年程前、ある社会福祉法人が新規に訪問看護ステーションを立ち上げた際、管理者を経験しました。その時、自分が運営に関わっていない法人の管理者では自分のやりたいことが出来ない、と悶々とする日々が続きました。どんなに訪問看護が実績を上げても、法人内で収益がマイナスの事業所の穴埋めに回されてしまいます。それならば自分で事業所を立ち上げたいと考えるようになりました。自分の頑固さやタイミング(運命)、その時の環境が起業への決意に繋がったと思っています。

 起業家育成事業を知り、当時看護大学の教員という立場や収入すべてを手放し受講しました。起業は家庭の事情で研修修了1年後に延期し、その間は自分が今までやってきたことである大学教員として勤務しました。すると、いざ起業というときに大学を退職できない状況になっていました。しかしここで新たな視点として「教育と現場の両方からの目で物事を捉えられる」と考え、現在は訪問看護ステーションの経営者と大学教員、掛け持ちで働いています。

 研修中には地域を沢山歩いて回りました。ある時、高齢の女性が空を見ながら小さな庭に水やりをしているところに遭遇しました。その時に「この地域を救わなければいけない」と決心したことから、事業所の名前を「空と花」にしました。

 開業して5年、現在は人の確保が一番大変です。常勤スタッフが固定できていないと、看護の質の担保、業績アップができません。今後の事業大規模化や地域への貢献、スタッフへの教育についてどのように行っていくか、悩みながら今も動いている最中です。
 私は以前、市中病院に勤めており、臨床で働き管理者もやりながら時々脳疾患を教えるという生活を27年程続けていました。

 2015年に病院を退職しました。そしてやりたいことをやる、見識を広げるという思いから、職場(環境)を変えて地域の方から医療を見てみたい、患者さんだけではなく家族もケアの対象として見られるよう学びを深めていきたいと考えました。2016年、大学院(修士課程)へ進学しましたが、学生の立場だけに専念する思いは全くなく、大学院生と職業人の両方に身を置き、補完的に自分の経験が相互に作用すればいいなと思っていました。

 仕事を選ぶ際は、やりがいがある、感動を得られる、共感できるという自分の選択基準を持ち続けてきました。沼崎氏(講演1参照)にお会いして看護小規模多機能型居宅介護事業所の設立意義や具体的な話を聞き、私の思いと合致したと感じ、「結の学校」の非常勤スタッフとして働くことを決めました。こうして大学院で家族看護を学びながら、在宅看護センターで実践に活かす、実践で学んだことを研究に戻すという形を続けています。学生と職業人としての実践の双方の経験が、相互に補完しあい、作用しあうと良いと思っています。

 修士時代からの心境の変化としては、学生と仕事を通じて大きく6つあります。
 このように修士の時期での体験が動機となって、データから家族・地域・医療環境を追うということの大切さや、今の先行きが見えない社会の中で俯瞰的に物事を捉えていくことが、生活環境の全ての領域に活かせるのではないかと考えています。そして本来自分はこのようにありたいという気持ちが動機付けとなって、新しい自分を試す度に視点が変化していくと感じています。

 私が博士を目指している学びや活動は、目的ではなく自分をより活かすための手段です。これまでのキャリアを積む上でのいくつかの選択は、自分のやりがいや感動といった自己実現に繋がっており、結果的にそれを活かして社会に貢献ができるのではないかと思っています。今後は多職種分野の方と交流しながら地域内外で活動する人々と一緒に研究活動を行い、その知見を地域に返していくことで更に自分のフィールドを広げて行きたいと考えています。
 私は5年前まで大学病院の病棟看護師として働いていました。「最期は自宅で過ごしたい」という患者さんの願いを叶えてあげたい、また看取り難民を失くしたいと思う一方、実際の在宅看護現場のことは分かっていませんでした。患者さんの希望を叶え自分自身も成長したい、同時に地域の人々にとっても看護師にとっても、看護をよりよいものにしたいという思いが、次のステップに踏み出す決断を確たるものにしました。多様性を認め、持続可能な看護や看護師の在り方を考え、看護師が活躍し社会に貢献する、この思いが私を起業へと駆り立て、訪問看護ステーション開設に向かわせました。

 “看護”の定義によれば、それ自体は誰でもできるものです。教育された看護師が住民参加型「自助」「互助」を高めるような活動、あるいは地域住民を教育することで、地域の人々の看護力を高め健康を守ることができると考えます。限りある医療資源を適切に配分できることも、持続可能な看護へと繋がるのではないでしょうか。

 一方、包括的な支援が行える看護師であり続けるためには、継続学習が欠かせません。自己研鑽を怠らないプロフェッショナルとしての姿勢(クラシカルな看護)は、引き続き求められると思います。

 しかし、ライフイベントにより働き方を変える方もいますので、働き方の多様性を認めた上で、組織として妥当性がある看護を確実かつ効率よく行えるよう、テクノロジーを駆使し情報を仲間と共有すること(プログレッシブな看護)が、持続可能な看護師の在り方に必要なのではないでしょうか。ICTの活用で、離れた場所でもリアルタイムで情報共有や相談、意思決定を多職種で行うことができ、一人で訪問する看護師の不安も軽減できると考えます。社内ではSNSのチャットを普段から積極的に活用して意見交換を行い、WEBミーティングではスタッフに体調やその他の問題がないかの確認もできます。

 これからは、クラシカルな看護とプログレッシブな看護を融合し、在宅看護チームとして最大限の力を発揮するすることにより、誰一人取り残さない看護、看護の力で人々の健康を守り続ける社会に貢献していきたいと思います。
 皆さんの発表を聞き、それぞれのキャリアの中で感じるモヤモヤ感や怒り、正しいことをしたい、社会に貢献したいという思い、そして本当にやりたいこととやっていることとのズレ、やれていないことの悲しみがあったと感じました。私自身、喜多先生の「看護師が社会を変える」というお考えに惹かれ勉強していますが、元々ダイバーシティ素因のようなものがあったのではないかと思います。

 私たちは個人の価値観を大切にすることや、既成事実に捉われずに自分で考えるという資質を持つ人ほど、看護というどこか伝統的な組織の中での生きにくさのようなものも感じがちです。そこに内的促しを受けて「今ここで動かなければ」という感覚が、このダイバーシティに繋がっているのではないかと思います。

 演者の皆さんの挑戦によって生まれているもの(生まれそうなもの)の原点は、よい仕事をしていきたいという思いだと感じました。地域の人々への貢献や、自身の満足感・納得感、それぞれの価値観を認め合う仲間との協働や働きやすさを実現するにあたり、科学的論理的側面からの追究、苦難や問の連続に対する成長思考をもって仕事をされています。

 経験からの学びを大切にし、価値観に捉われない自由で勇気ある挑戦は、既成の「伝統的看護」を越えて自身が求める本質的な思いの実践と未来へ向かっています。地域の人々の幸せで健康な生活や、逝く力を支援するという看護実践の実現のために、私たち看護師が社会を変えていくという気概をもって成長し続けていきたいと感じました。
コミュニティケア2019年11月臨時増刊号
【看護師が社会を変える!「日本財団在宅看護センター」の挑戦】
– 2019/11/15
喜多 悦子 

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