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神戸の訪問看護師 藤田 愛さんのコラム

千分の一のコロナの訪問看護⑦

※原文およびその他の投稿内容については、藤田さんのフェイスブックでお読みいただけます。

1000分の一のコロナの訪問看護⑦ 失うもの

今回はちょっとしぶめの内容。

「コロナを訪問するならうちには来ないでほしい」

苦情があり一時間ほど対応しましたと報告があった。

コロナ訪問は私一人が専属だが、数が多い時は他の看護師も応援に入ることがある。周辺では施設クラスターが連続し、在宅にさらに広がるのではないかと静観しているところ。ハイパワーでスピード感がある変異株コロナに対して、施設での感染管理は精一杯勤めても徹底などできないと思う。

コロナの訪問を決めた時、さらに顔と名前を出して取材に応じると決めた時に予想はしていた。コロナに訪問する=コロナに感染する=コロナに感染させられるとなる。

利用者だけでなく、ある診療所に依頼された採血の検体を届けに行った時も、私が近寄った距離の分だけ後ずさりする看護師、医師を待つ間、個室空間に案内されて「ここから動かないで下さい!」どちらの視線も同じである。一瞬で恐怖を感じさせる。うちは利用者が大事だから発熱ももちろんコロナも行かない。

コロナになっても絶対に誰にも言えない。
私も石を投げつけられるのではないか。コロナになってしまった方たちから聞く言葉、心情に思いが重なる。コロナを診ている病院勤めの看護師の友人は内緒なんですけどと小さな声で前置きをする。

確かにコロナは怖い。
それ以上に怖いのは、コロナになった人に向けられる、生涯心に突き刺さるような、冷たい視線と言葉が向けられること。コロナを恐れる以上の一人の人の全否定感が込められてる。

もう終わりにしたいと願う。
自分も風潮の一端。
何を終わらせるか。
だから顔と名前を出す。
ひっそりまるで悪いことをしたような気持ちで生きるコロナ、コロナ後の皆さんに思いが届くといいな。そう思った。

日々悪化し、入院が必要でも入院ができないコロナの療養者の訪問を初めて訪問した時、真っ先に思ったのは自社の利用者のことだった。

持病があり、75歳以上の方が7割、絶対に入院治療や管理が必要な方が多い。しかしそれが叶わぬならば、悪化しないよう、苦しい症状を緩和するため、一日中濡れたおむつで過ごすことがないよう、食事や飲み物を口にできるよう訪問ができる準備をしておかなければならない。そして、さらなる病床逼迫は、利用者だけでなく、家族や自分の大切な人にも迫る思いとなった。

一方で、目の前であれだけ苦しい症状が出て、もしかして死ぬかも知れない状況になっていても、入院もできない上に、医師や看護師も来てもらえない、なぜですか。心は痛みませんか。若きコロナの夫婦の問いに答えられず、沈黙の場をすぐそばで無邪気に遊ぶ幼い子供3人の声がかき消す。

手当ての開始は遅れたが、酸素、ステロイド投与、毎日の点滴で回復し、元の生活に戻っていった。初めて訪れてもらった時「希望」を感じました。
回復と希望が、回復しなくても孤独でなく、ほんの少しだとしても苦痛を和らげることができたことが私に「希望」を与える。

コロナの自宅療養者を訪問することで失うものもある。大切にしたいがゆえに選んだことでも大切にしていないと傷つけてしまう。たまたまコロナなだけで同じ病に苦しむ人なのである。入院治療を受けたくても受けられないのである。

最近は保健所、コロナ病床に勤める医師だけでなく看護師もテレビで多く見かけるようになった。きっと同じ思いだろうと勝手に励みにしている。
コロナを訪問するのもしないのも失うものがある。
私は1000分の一のコロナの訪問看護を続ける。
コロナにかかってもあなたが大事な存在ということは変わらない、届けてくる。
(2021.5.15)

つつく・・・
※藤田さんの著書は台湾でも翻訳出版(写真左)されています。

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