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神戸の訪問看護師 藤田 愛さんのコラム

千分の一のコロナの訪問看護⑧

※原文およびその他の投稿内容については、藤田さんのフェイスブックでお読みいただけます。

1000分の一のコロナの訪問看護⑧ 失うもの

コロナ自宅療養者の訪問看護に行かれる方へのメッセージ −引き算の看護を目指して−
全国のあちらこちらで流行が始まり、訪問看護師が自宅療養者の訪問に入る状況になっていることが聞こえてきた。行かなくてよいなら行かない方がよい、けれどそれでも行かねばならなくなった時のために書きまとめようと思っていたが、間に合わないので、こちらからメッセージを送ります。乱筆乱文お許し下さい。

「日頃は足し算の看護を目指す。コロナの訪問看護は引き算の看護思考で最高の15分を目指す」

ということを忘れないでほしい。
私も他の先発部隊看護師たちも最初に皆、失敗した。

不慣れなPPEの手順をちょっと間違えるより、この切り換えができないことが自身の感染リスクを高める。訪問看護師は身体的、精神的、社会的、生活に至るまでのニーズを把握して考察することを学び、実践してきている。できるだけ多くのニーズが充足するよう、日頃は足し算思考の看護を提供する。

日頃のサービス、家族からも断絶されている療養者を訪問した時にわっと見えてくる様々なニーズ。瞬間的に判断して、優先順位をつけ今絶対のものだけ、15分滞在を目指すのだ。これは、私たちが今まで経験したことのない引き算思考の看護を実践するのである。

15分で終わらない命のケアも時にはあるが、最初からそれを全部しようとしてはいけない。
一人で行くことが多く、timeキーパーしてくれる誰かがいるわけではない、心が揺れる、あとこれだけと。だけど自分にタイマーをセットして下さい。薄情じゃない、15分に凝縮できる看護がある。それでも訪問看護師が来てくれたことを「希望」と言ってくれる人もいる。

慌てる気持ちが起きるけど、そういう時ほど所作はゆっくりエレガント。
10日後の隔離解除のあとにじっくり看護が待っている。

利用者様ではない。
療養者自身や同居、離れている家族と協力し合うのである。
お願いではない、~して下さいだ。
私は共に戦う同士と捉えることにして、その立ち位置をはっきり伝える。

PPEの研修も動画も見飽きただろう。
同じにできなくていい、どうせああはいかない。
右に置くとか左に置くとかやりやすさは家の環境や人による標準は守りつつ、あとはアレンジすればいい。焦っても、焦るに決まっている慣れないPPE、病院みたいに確認し合うもう一人はいない。
スタッフのトレーニングを兼ねて使う順番に上からセット、離れそうな気持ちもつなぐ。

丁寧な言葉遣いはいつもはいいが、N95とサージカルマスク、さらにはフェイスシールドに覆われた声は届かない。短く、はっきり、深く聞きこまない、伝えようとしない。浅め、短めで。

訪問時間を限定して約束しない、慌てる心が手元と思考を狂わせる。

前日の段階では午前か午後、当日朝に2~3時間の幅を持たせて、向かうことが決定した時点で概ねの到着時間を知らせて、換気、マスク装着、体温、酸素飽和度(できれば安静時とトイレ歩行から帰ってきた後など動いた時)、脈拍、あれば血圧を測定しておいてもらう。
ごめんなさいね、つかったPPE持ち帰れないのでご自宅に置いて帰ることも伝えておく。

訪れた際にドアを開けた時の最初の風を受けずに逃がしてから入る。PPEは玄関になることが大半だと思うが、玄関ドアは完全に閉めずにドアストッパーやドアロック、なければそこあたりにある何でもいいから10cmほど開けておく。ご近所さんがちらっとのぞいても見えない幅で風通し。

療養者や家族がお出迎え、お見送りの気遣いをされそばでじっと立って下さることがあると思うが、私、今からゆっくり「着替え」させていただくのでどうぞ奥でお待ちくださいね。優しい声かけだが「着替え」が効く。

部屋には何も持ち込まない。
記録メモだけでもと思うことがあるかも知れないが、記憶に残った大体でよい。
血圧が120だろうが126だろうが、体温が36.0だろうが、36.6だろうが細かく必要なことはない。外に出てから急いでメモをすればいい。
車に残しておけないものは、ビニール袋にくるんで清潔ゾーンに置く。

入った時の息遣い、喋りながらも目はその動きをじっと見て。
病診のある時計が見あたらず、数えられなければ普通、早い、かなり早いでもいい。
自分で10秒間のリズムをスーハー真似て取っておいて、外に出てから×6でカウントしてみたら、24,30,48,それ以上、大体合ってる。

コロナになってもならなくてもあなたが大切な存在であることは変わらない。健康観察と共に届けると心がける。言葉が見つからなくてもそう思うことは伝わってゆく。
言葉を探す手がかりは、見える風景、語られる言葉にある。安易な励ましはいらない、「コロナになったものにしか分からない」と終わりがない長めの会話になってしまう。

アンダー手袋は入る前から、外に出るまでつけておく。
持ち帰りはルールに反するが家を出るまでは色んなことが起こりうる。

私はそこまで完璧だったのに、PPEの着脱、15分を終えたフィニッシュの出口で、昭和じゃらじゃらのれんが待ち受けているのを忘れて受けて、顔面全面にぶつかった。痛さとやってもうたの焦りで笑えなかった。それ以来、のれんに注意を忘れない。

とか、ちょっとのことがあるのが自宅だ、この一枚はあった方がいい。
外に出てから、すぐ取り出せるようポケットに口を開いておいた小さなシャリシャリのビニール袋(スーパーにロールで置いて肉とか魚とか入れたりするあれ、まあ別にこだわらなくていい)に外に触れないようにしてくるりんと脱いで捨てる、オンのサージカルマスクも中で取らぬ方がよい場合は、このタイミングでシャリシャリへ一緒に捨てる。もちろん外側には触れないで。シャリシャリの口を自分じゃない方向に向けてぎゅーっと縛る。

手抜きなしの本気のアルコールでの手指消毒、ここ大事。
そしてシャリシャリは車中の足元ごみ袋(レジ袋)へ。

曇り止めスプレー使っても、色々な環境の自宅があって、熱気と湿度、自分の吐く息の熱さで全曇りの日もあるだろう。かまわない、そのままできることをすればいい。
無理なら玄関の清潔ゾーンに戻って、汚染手袋をはずし、予備に置いといた手袋つけて拭いてまた戻ればいい。

慣れない時は捨てるのもったいないけど、プラ手は多めに持っていく。
暑さで手が湿気ている手とプラスチック手袋の相性は悪い。
アンダー手袋は滑りがいいニトリル手袋がいい。
色付きはご近所さんに目立つから肌に近い色か探せたことないけど透明がいい。病院勤務なら何色でもいいのに、自宅訪問はここが違う。

普段の訪問じゃないけど、電話で済むことは電話を活用。
出先で携帯電話長くなる、療養者、家族、保健師、主治医への連絡普段の10倍、通話料の請求書にびっくりすることを先に言っておこう。

不慣れな感染予防、感染しないだろうかの緊張や引き算思考の看護、疲れ方は普段の訪問の倍とカウントしてちょうどいい。普段通りの看護の1件のカウントしたら疲労を読み間違える。

二つの世界を行き来する。
入ったものしか分からないから、周りと共有できない。
必死に伝えようとするほど入ったことのない人には引かれてくる。
そして伝えることをあきらめてしまう。
見えない戦争でしかない。
目に映る風景もまわりの人はいつも通りの日常を過ごしている。

信じがたい世界を経験し、命危うくとも行き先のないその人を前に呆然とし傷つく、擦り傷みたいに見えないから知らずに傷が増え、深くなる。
ありのままも弱さも怖さも全部丸ごとOKの誰かを見つけておいて。
相手はOKだけど、自分の心がブレーキをかけてしまう癖があるなら、今のうちから練習しておけばいい。
カッコつけたくても人の心はたいして強くできていないから。弱さを認めておけばいい。

練習、間に合わなければ、すいません泣く胸貸して下さいと、通りすがりの人に頼めばいい。
どう思われただろうと思う前に寝落ちしている。
人がいやならひとりごとでもいい車を高台に留めて、冷たいリンク飲みながら聞いてくれるのは空。存分にひとりごとで、泣けてくる時は泣いてしまおう、

あと一人、もう一日、そう思うこともあるかも知れない。
最初の道は所長がつけるしかなく、まずは自分から出発してゆくことになるところが多いでしょう。

病院の管理のように階層的な仕組みはないから、だめだ休めと止められるのは自分しかない。
できれば週二回、最低でも週一日は休むこと。
それ以上になると1日休んだくらいじゃ取れない疲れにやられて、免疫力も気力も回復できなくなる。
今回の変異株コロナは見逃さない。
休まなくても私は平気、それは別の意味でヤバい。心身は休息が必要なようにできている。

管理力保とうと思うなかれ、日頃の十分の一ならいい方だ。
コロナ看護は違う世界。そことの行き来には限界がある。
管理はできる人に委ねるか、よい機会だから管理しようとかどうなんだろうと考え直してみるのもよい。意外に皆底力を持っている。でも行かねばならぬ理由だけはそれまでに何度も話しておいた方がいい。何でわざわざ行くん?くすぶり残さないことが大事だ。

全力で洗練された表現を使って、命が危ない入院が必要と保健師に伝える。
しかし入院回ってこなければ、明日生きて会えないかもと帰路につかねばならぬ日もある。
それを持ち帰ったら、眠れぬ日が続く。
開かなかった扉、入院が間に合わなかったこともある。
訪問した私が、第一発見者となり、検死に立ち会い帰宅した時は日付が変わっていた。
日頃のACPとか看取りとは全然違う。
「残念」なことがたくさんある。
同居しない家族は入れず、入院が最後になり面会できないまま亡くなることは、病院の看護師だけの悲しみではなくなった。

それでも今日、できることは全部やったとリッチな入浴剤を入れた湯船につかり、眠る。
時々、個室や貸し切りで食べられるお店があれば美味しいものを一人か家族と出かけよう。
他にもあれこれありますが、長くなるのでひとまずここまでを急ぎでお伝えします。

繰り返しになりますが、「日頃は足し算の看護を目指す。コロナの訪問看護は引き算の看護思考で最高の15分を目指す」のです。それが最大の自分と他者への優しさだと思うのです。そしてそれは究極の足し算の看護でもあります。
(2021.5.15)

つつく・・・
※藤田さんの著書は台湾でも翻訳出版(写真左)されています。

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