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神戸の訪問看護師 藤田 愛さんのコラム

千分の一のコロナの訪問看護⑫

※原文およびその他の投稿内容については、藤田さんのフェイスブックでお読みいただけます。

1000分の一のコロナの訪問看護⑫

発症後一か月は在宅医療についての公費負担を願う、他振り返り

やや下がりどまりが気になるが、神戸市内のコロナ戦はピークアウトしてきている。すぐにインド株とのさらに激しい戦いがくるともこないとも分からないが、小休止である。

市民の皆様の努力が数につながり新規感染者数が減少したことが一番の要因だと思う。

入院待機中で酸素飽和度が90%以下になるものは待たずして入院できるようになってきた。93%程度でも持病がある高齢者も同じく、悪化の前に入院できるようになっている。

急ぎの訪問依頼に向かう道中で「受け入れ先が決まり救急搬送になりました」と連絡があり、引き返すことが先週は5件あった。

それでも入院対象者で自宅待機者が1,214人。
空いたベッドはすぐ埋まり、満床状態は続いている。ベッドの回転がよくなったことについては分析できていないが、恐らく、早期の在宅医療介入により重症化が抑止できて短期の入院で退院できるようになったことも影響していそうだ。コロナ病床の従事者や治療後の回復期を担う病床のがんばりもあったのだろう。

4月の惨状を経験しているのと、在宅酸素、ステロイド投与で回復する方たちを多く見てきたので、もはや私自身の入院基準がずれてきているのかも知れないが、私の手ごたえとしては本当に入院治療でないと悪化の可能性が高い方は2割以下、もしくは1割以下ではではないかと感じる(施設クラスターを除く)。今後、在宅医療が広まり、確立されれば、基準も見直されるかもしれない。

さて今日は、2名の方の訪問終了。
下記の二群の方たちがひとり一人と元の生活に戻ってゆく。
*自宅療養が継続される方もいるが、以下でいう自宅療養期間というのは保健所が決定する自宅療養期間

一群:自宅療養期間(発症から10日間+α)を終える時に後遺症がない、多少の残っていても自己管理で元の生活に戻ることができる。

二群:自宅療養期間は終わっても肺の酸素化が不十分で、継続した呼吸リハ、看護が必要。水分、食事摂取量が極めて少なくあと少し在宅輸液で持ち直しをさせたい。自宅療養期間を含め約一か月程度のフォローが必要。

三群:コロナ感染症をきっかけに要介護、終末期移行する

二群の方に行った看護は、一緒に室内動作、外を歩いて息切れ、息苦しさ、呼吸数、脈拍、酸素飽和度を測定する。安静時酸素飽和度96~97%で外見上、回復しているように見えても歩行や動作で、最初は90%以下まで下がる。

3週目になり91~93%、引き続きのリハビリは自己管理で行ってもらうこととし、継続的な支援としては協力家族がなければ、地域包括支援センターか介護支援専門員につなぎ、介護保険を申請し、回復までの間、掃除、買い物の支援、月1回の通院。

出会った時とは全く違う、お二人と家族の見違えるような回復に初回訪問からの道のりを重ねてしまって、こみあげるものがある。「回復されて本当によかったです。本日で私の訪問は終了とさせていただきます。出会えて光栄でした、ありがとうございました」と挨拶をして帰路についた。

感染性があるかどうかという隔離としての解除は10日、最長で14日以内でよいと思うが、二群、三群の方には自宅療養が続くため、在宅医療を一か月公費としていただき、特別指示書期間の14日の後も、訪問看護は医療保険の対象に含めていただきたいと願う。入院患者なら10日間の制限はなく公費負担なので、自宅療養や入院待機のまま10日間を越える方を想定しての保険制度改定を急いでいただけるとありがたい。

現在は介護保険を申請してしまうと、介護保険が優先される。状態によって訪問頻度が変わるため、事前に計画を立ててのケアプランになじまないし、また介護認定が低く出てしまうと、週2回の訪問看護(リハビリ)は継続できず、ヘルパーを利用すると月2,3回しか訪問できない。

医療保険優先できれば、週3回の訪問ができるが、自宅療養期間を終えると1~3割負担となる。また、現在は月1回しか交付できないが、重度の褥瘡のように特別指示書が追加できれば三群にも対応できる。

卒業される方たちはごく親しい身内以外にはコロナを話すことができず、「思いきりコロナやつらさや経験したものとして危なさを話したい」けど差別や拒絶が怖くて話せないという。

コロナからの精神的回復を遅らせている要因は社会にある。

「感染はあなたのせいじゃない、コロナでもコロナでなくてもあなたの価値は何ら変わらない。絶対に一人にさせない」。

これが私が療養者の方たちに伝え続けてきたメッセージ。

ひとり一人が変われば、社会全体となり、コロナへの恐れも傷つけも半減すると思う。絶対に人の持つ優しさまでコロナに奪われたくない。それが私のコロナの訪問看護を始め、続ける動機の一つである。

2月8日に神戸市と保健所の指示で訪問看護の仕組みを作る時、フローの中にかかりつけ医を入れることの提案は様々な事情で叶わなかった。与えられたチャンスを大事にして訪問看護師への信頼を得ながら、時を待つ。そんな心境だった。

3月17日にコロナの訪問看護を始めた時には、コロナ主治医もなく、在宅酸素・ステロイド投与という在宅医療は全く確立されておらず、訪問して、ナイチンゲールに学んだ自然治癒力を高めるというような看護しかできなかった。

次に一人見つけた診療所の医師を神戸市のあちらこちらに、先生何とかお願いできないでしょうかと往診をお願いした。往診の中所が何か、多くの医師から断られる理由を教えてもらって『何があれば診てもらえるか』を探した。

日頃のかかりつけ医に「診れません」、ご本人、ご家族には「治療というより、ただ待っているよりましな医療が提供できるだけで、入院の順番が早くなるわけでも、急変の可能性がなくなるわけでないけど、往診してもらいましょうか」と説明と問いかけをして、できることと、期待値を重ね合わせて医師を過剰なリスクから守る。対面診察が短時間で終わるための工夫。この3点の道筋を整えた上である。もう今は、十分ではないものの保健所がハンドリングするコロナ主治医のリストも整った。

同時に酸素飽和度93%以下になるタイミングでの酸素投与、ステロイド投与が悪化を防ぐという知見を得て、すぐに試行を開始した。6,7割が悪化せず、回復した。

「先生、よくなってる!」何度この報告をしただろう。

一人ずつの経過が私たちに新たな臨床知を与えてくれた。その先生に頼り過ぎて、お休みなしに巻き込んでしまったので途中で目が回ってます、一日だけ休んでもいいですかという文言を読み返したメールの中で見つけた。誰にも見えない津波が見えた時、一つずつの訪問をする時の看護師としての感触や判断を信じてくれて、とても感謝している。

整ってゆく中で、思い出すのが、整わなかった中での医療を受けられず終わって言った命。

話せないから、一人ずつにお電話や訪問で思いきり話してもらう。自分も傷を背負っているから、重すぎて、自分のダメージの修復の方が先でないとだめだと気づく。神戸戦の小休止の間にマイメンテナンス。

自分も大きな波にのまれて溺れながらの看護だったことを、休みなく泳ぎ続けてきたことを、今になって気づく。

日本中から「ご自愛」メッセージをいただきながら、波にのまれながら「ご自愛」の仕組みを作ることが難しく、今になってやっとできたら、小休止に入った。

コロナはいつもそうである。

整った頃にピークアウト。次に備えたつもりでも次に来た時は、おいおいおまえ前と全然違うやん、パワー増してる。で、また飲み込まれながら泳ぐしかない。ちょんととかきちんととか整えるとかさせてくれない。

ついに酸素から離脱できていない方は1名、今月中には卒業できそう。入院中2名、訪問1名。

3月17日から本日まで。
目に焼き付くようなつらい経験も合わせて53名、301回の訪問は私にとってかけがえのない出会いと経験だった。

年長、ちびっこコロナ、勇士コナン一家も皆、回復されついにお別れとなった。
看護師さんは今日でお家に来るの最後やねん。
いっぱい助けてくれて、希望を与えてくれて本当にありがとう。コナンが大好きやってん。
取材を受けた神戸新聞の切り抜きを大事そうに持ってくれていて「ほら、これあるから大丈夫」まではよかった。
またコロナになったら会えるんでしょう。
そうきたか、会いたいけどそれはいいわ、元気でね。
元気になった母の後ろに隠れて、小さな手がバイバイをする。
(2021.5.24)

つつく・・・
※藤田さんの著書は台湾でも翻訳出版(写真左)されています。

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